大会テーマ 葬送と死生観の変化をめぐる日韓比較研究の試み
- 日時
- 2015年12月6日(日) 13:30〜17:00
- 会場
- 関西学院大学梅田キャンパス1003教室
-大阪市北区茶屋町19-19 アプローズタワー10F
-アクセス・地図等はこちらを御参照ください。
-研究大会終了後に、近隣にて懇親会を行う予定です。
映画 「We Don’t Need a Grave」上映(映像人類学作品、2014年制作、27分)
監督 金セッピョル氏
RAI International Film Festival of Ethnographic Film(2015年、イギリス)招待作品
Days of Ethnographic Cinema(2014年、ロシア)招待作品
Eyes and Lenses XI(2014年、ポーランド)招待作品
発表1 日本の自然葬に見られる遺骨=霊魂認識の矛盾 ―NPO法人「葬送の自由をすすめる会」を中心に―
金セッピョル氏(国立民族学博物館)
[概要]
家制度と檀家制度を基盤とする葬送儀礼が変化を迎えるなか、NPO法人「葬送の自由をすすめる会」(以下、「すすめる会」と略す)は1991年から自然葬(散骨とそれに付随する儀礼)の普及と実施に携わってきた。自然葬は継承不要の代替的な葬送儀礼、あるいは簡便な葬送儀礼として捉えられがちである。しかし「すすめる会」は、家制度・檀家制度と結びついた国家、および商業主義に対抗する社会運動体としての性格をもっており、自然葬は、従来の葬送儀礼を敢えて「行わない」形で周到に構成されてきた。その一つとして、「すすめる会」では特定できない場所に遺灰を広く散布し、また墓参りのような感覚で再訪問しないことが重視される。墓のような埋葬・追悼空間が意図的に拒否されているのである。
「すすめる会」が墓を拒否するために提示する死後観に、「遺骨に霊魂は宿らない」という言説がある。自然葬実施者たちは、これを積極的に受け入れながらも、相変わらず遺骨を死者の依り代とする感覚をもっている。自然葬実践はこのような言説と感覚の矛盾のなかで繰り広げられ、「すすめる会」の理念型自然葬に収まりきれない多様性に満ちている。
本発表では、「すすめる会」を中心に自然葬実践の諸相を検討し、葬送儀礼が再編されつつある現代日本社会における遺骨=霊魂認識について考えたい。
参考:金セッピョル(2012)「自然葬の誕生−近代日本の拒否」『総研大文化科学研究』8
発表2 韓国における葬送儀礼の変遷とその意味
宋 鉉同(ソン・ヒョンドン)氏(韓国・建陽大学校)
通訳:浮葉正親(名古屋大学)
[概要]
韓国の葬送儀礼は、1990年代中盤以後、三つの側面で伝統とは異なる様相を見せている。
(1)葬送の方式が急変していること。過去500年以上も維持されてきた土葬中心の葬礼文化が火葬に変わった。
(2)葬礼の場所が家から病院葬礼式場に移動したこと。葬礼が家族や地域共同体の次元を離れ、商業化の様相が進んでいる。
(3)政治的、社会的な原因による死者に対する葬送儀礼が強化されていること。葬送儀礼が国家の統治イデオロギーの強化や社会統合の手段として使われることもあり、逆に社会変革のための抵抗の手段となることがある。
本発表では、事例分析を通して、韓国人の死生観を伝統社会と現代に分け、比較する。
参考:
宋鉉同(2008)「韓国民俗学界の研究傾向と課題―方法論を中心に」『韓国民俗学』第47号、韓国民俗学会(原文韓国語)
宋鉉同(2010)「現代韓国の冤魂儀礼の様相と特徴」『宗教研究』第61輯、韓国宗教学会(原文韓国語)