大会テーマ|戸籍と国籍―「日本」「日本人」の境界を問い返す―
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David Chapman氏 (南オーストラリア大学)
[概要] 小笠原諸島という小さな島々は、これまで居住地、植民地、占領地など極めて特異な特徴をなす場所であった。この島に最初に住みついたのは1830年代の欧米人や太平洋諸島民であった。島は1875年に日本に占領され、当時の居住者は強制的に戸籍に入れられた。1877年から1882年の間に、彼らは外国人から日本人になる、明治期の最初の帰化者となった。彼らは近代戸籍の中で外国人としてまとめて登録されたのだ。これらの人々の子孫は、辺鄙な島で、西洋人風の風貌や背景にもかかわらず日本人として日本という国民国家の中に暮らしてきた。
第二次世界大戦中、小笠原諸島の住民は危険を避けるために本土へ疎開させられた。戦後、1952年まで島は連合軍の占領下にあり、その後、連合軍の海軍が1968年まで統治した。この23年間、島は日本から行政的に分離されたが、いわゆる欧米系の住民だけが帰島を許された。戦時中、戸籍の記録は散逸し、島が連合軍に統治されている間、日本の官僚は島にほとんど注意を払わなかった。このように日本の領土から切り離されたため、島民の地位はあいまいに、かつ不安定になり、記録は不完全となった。1968年に島が日本に「返還」されることになると、島民は日本人として帰島するか、アメリカ合衆国へ移住するかの選択を迫られた。帰島した住民は、日本人として再度、戸籍に入れられた。
本発表では、これまであまり知られていなかった小笠原諸島の歴史を振り返り、国籍、アイデンティティ、戸籍の関係について考えてみたいと思う
参考:
Chapman, D. 2009. "Zainichi Korean Identity and Ethnicity" Routledge Contemporary Japan series, Routledge
講演2 「国家・制度への反証 −国籍、戸籍のない人びとの身分証明−」
陳 天璽氏(国立民族学博物館)
[概要] 人は誰でも、生まれながらにして国籍、戸籍を有しているものだと思ってはいないだろうか。人は誰でも、どこかの国に帰属していて当然だと思ってはいないだろうか。さらに、われわれは国家・制度によって与えられている身分証明書を絶対視してはいないだろうか。
近代国家が成立するなか、国々は自国の理念と法的システムによって、国民と他者を分類し、国を統治運営してきた。そして、統治の対象である個人を同定するシステムとして、国籍や戸籍などの制度に基づき、身分証明書を発行し、人びとの生死、婚姻、移動、財産などを掌握してきた。
これまで、あまり目にとどまることはなかったが、社会には、国籍や戸籍をもたない人びとがいることが明らかとなってきた。世界には、無国籍の人びとが1100万人存在すると推測されており(UNHCR)、また、数こそ確かではないが、発表者が行ってきた調査から、日本にも、国籍、戸籍を持たずに生活する人びとが少なからず存在していることがわかっている。なかには、国家間の制度のズレや手続きの不備により、身分証明書と実態が一致しないという事態も発生している。
本発表では国籍、戸籍のない人びと、つまり無国籍者や無戸籍者に焦点を当て、彼らが発生する原因を明らかにし、彼らの視点から、身分証明書の実態、彼らが生活のなかで直面している問題などを明らかにするとともに、そこから見えてくる国家と法、そしてアイデンティティとアイデンティフィケーションのズレについて考えてゆきたい。
参考:
陳天璽(2001)『華人ディアスポラ―華商のネットワークとアイデンティティ―』明石書店
陳天璽(2005)『無国籍』新潮社
陳天璽ほか編(2012)『越境とアイデンティフィケーション―国籍・パスポート、IDカード―』新曜社